2013年10月16日〜31日
10月16日  キアラン 〔未出・マギステル〕

 わたしは次に、K様をダンスフロアにお連れしました。

「鏡の間?」

「そうです」

 フロアはベルサイユの鏡の間を模してあります。

「ここでは毎週末、舞踏会が開かれます。ロセ以外からもお客様が訪れるんですよ」

 そして、恋が生まれるというわけです。
 
 わたしは彼にダンスはできるか、たずねました。

「基本は」

「では、女性用のステップを教えますね」

「え?」

 わたしは言いました。

「週末の舞踏会に出ましょう。お友達を増やさなくては」

 手をさしだすと、彼はおずおずと手をのせました。


10月17日 キアラン 〔未出・マギステル〕

 ダンスの稽古は、K様の緊張をほぐすのに効果をあげました。

 町のレストランに移動する時、腰に手を添えましたが、警戒はとれていました。

「スカート、女の子がお尻押さえるわけがわかったよ」

 レストランでは、少し笑みも見え、

「落ち着かないね。股がスースーすると」

「誰かに触られそうで?」

 K様は少し頬を赤くしました。

「キアランは荒っぽくないんだね」

「荒っぽい時もあります。そのほうがいい?」

「ノー!」

 荒っぽくはしません。足を擦りつけたりもしません。ただ、ハートを頂くだけです。


10月18日 キアラン 〔未出・マギステル〕

 ムニエルを切りながら、K様は周囲のテーブルを興味深く見つめています。

 周囲のテーブルでは裸の犬たちが、皿に顔をつっこんでいたり、主人のひざにすがって食べ物を乞うています。 

 オムツの犬が哺乳瓶でミルクを与えられている光景もあります。

 わたしの視線に気づくと、K様は照れて、

「洗脳ってすごいね。根っから主人が好きみたい」

「好きですよ。大半の犬は」

 わたしは言った。

「ひとを好きになるのは楽しいことです」

 おれは、とK様は苦笑しました。

「楽しいのは1割。9割は嫉妬と心配だよ」


10月19日 キアラン 〔未出・マギステル〕

 食事の後は、街中を散策です。

「こういうの、大好きだ」

 肉屋、パン屋、大衆食堂、娼館。街は生きたポンペイの町です。K様は女装も忘れてはしゃいでいました。

「日本にも江戸村があるんだ。忍者もいるんだよ」

「ヴィラにも忍者がいたことがあるんですよ」

 わたしは年に一度の冒険イベントの話をしました。ロセのお客様が脇役で参加する楽しいイベントに、K様は興味しんしんでした。

「ロセにも小規模なイベントがあるんですよ」

 説明しようとすると、電話がかかってきました。


10月20日 キアラン 〔未出・マギステル〕
 
 わたしはセッション中の電話は受けないのですが、何度もしつこくかかってきます。

 K様を剣闘士訓練所に案内し、中庭に出て、電話を受けました。

『やあ、キアラン』

 相手はサー・コンラッドでした。

「おめずらしい。ご主人様。わたしを覚えておいでとは」

『そっちこそ、この瞬間までおれを忘れてたろ』

「正直なところ、思い出すのもつらいので」

『ハイハイ。悪いのはいつもおれ。ところで可愛い子連れてるね』

「え?」

 わたしはドキリとしました。

「見てたんですか」


10月21日 キアラン 〔未出・マギステル〕

『さっき通りで』

「新しいお客様です。お手を触れぬよう」

『そうはいかない』

 サー・コンラッドは笑いました。

『きみが何を考えてるかわかるぜ。あの子はタグつきだろ。タグをはずして食べると決めてるだろ』

 いやな相手です。わたしは言いました。

「お客様を楽しませるのがわたしの仕事です。無理強いはしませんよ」

『おれと勝負しないか』

「は?」

 わたしはつい大声を出しました。サーは楽しそうに、

『あの子は、おれの最悪の恋人、ハルキの仔犬なんだよ』


10月22日 キアラン 〔未出・マギステル〕

 わたしは思い当たりました。
 ハルキ・タカトウは、ヴィラでは知られた遊び人です。ゲームでもたびたび、プレミア犬を勝ち取っています。

『あのバカはもう別の犬に気をうつし、仔犬は傷心の旅に出たってとこだな。たまには、あいつにも思い知らせてやりたい。きみにもな』

「なんで。わたしは何も」

『なにも。ちょっと気が多いだけ。いいさ。ルールは簡単だ。この三日のうちにあの子を誘い、タグをはずさせたほうの勝ちだ。ではスタート』

「え? ご主人様、どこにいるんです?」

『ここの入り口』


10月23日 キアラン 〔未出・マギステル〕

 わたしはあわてて、訓練所の入り口へ走りました。

 が、サー・コンラッドはいません。少しうろうろして、思い当たりました。

(あいつ!)

 剣闘士たちが訓練している室内に駆け戻ると、騒ぎが起きていました。

 剣闘士の集団とサー・コンラッドが対立しています。サーのうしろには、K様がぼう然と突っ立っています。

「キアラン」

 サーが呼びました。

「こちらをすぐに避難させなさい」

 きみ、とK様にうながします。

 わたしは強引にK様の手を引いて連れ出しました。サーは、チラとウインクしました。


10月24日 キアラン 〔未出・マギステル〕

「キアラン、まずいよ」

 K様は中庭で手を振り放しました。

「警備員を呼ばないと」

「だいじょうぶ。あの方は大丈夫です」

「いや、マズイって」

 K様が戻ろうとするので、あれが誰であるか説明しなければなりませんでした。

「あの方は戦場カメラマンで、こうした危機には慣れてます。自由の戦士だろうと、テロリストだろうとモノにする――手なずけるのは朝飯前なんです」

 K様はまだ心配そうでしたが、わたしは強引に訓練所から連れ出しました。

 サー・コンラッド、今頃舌を出しているはずです。


10月25日 キアラン 〔未出・マギステル〕

「おれがいけないんだ。トイレどこか聞いたら、誤解させちゃったらしくて」

 歩きながら、K様はまだ気にしていました。

「いいえ。わたしが不注意でした」

 ロセのお客様で剣闘士を好む方は多いので、よくお連れします。剣闘士も客に狎れて、ずうずうしいのがいるのです。

「暴力はふるわれませんでしたか」

「パンツ、おろされそうになった」

 K様は笑っていましたが、ちょっと蒼ざめていました。

「申し訳ありません」

 わたしは言いました。

「では口なおしに、もっと楽しい場所に案内しましょう」


10月26日 キアラン 〔未出・マギステル〕

『シンデレラ! もっとさっさと動けないの!』

『掃除する端から、変な汁を垂らすのはやめてちょうだい』

 スクリーンには、裸の男が尻にバイブを詰められ、床掃除をさせられる映像が映っています。

 K様はやや頬を上気させて見入っています。

 ドムス・ファンタジアはふだん、ドムス・ロセのイベントに使われます。

 ゲームと同じように、お客様がシンデレラや白雪姫になり、NPCから調教を受けつつ、冒険するのです。

「K様にもいずれ、参加していただきますよ」

「え?」


10月27日 キアラン 〔未出・マギステル〕

 わたしはK様をからかいつつ、別のことを考えていました。

 サー・コンラッドはプレイボーイです。男気があって、豪胆で、客にも犬にも人気ですが、どうしようもない浮気者でもあります。彼のファンはそれを含めて、彼を愛してしまうのです。

 ハルキ云々はさておいて、彼がK様を気に入ったことは確か。

 わたしとしても、横から獲物を横取りされるわけにはいきません。K様はわたしにとっても、新鮮なご馳走です。

 これは調教を少しテンポアップする必要がありそうです。


10月28日 キアラン 〔未出・マギステル〕

「今日はご挨拶。次から本格的調教に入ります」

 別れ際、わたしはK様に覚悟してくるようにいいました。スーツに着替えたK様は照れくさそうに笑いました。

「自分でも奥手すぎるってわかってるんだ。だから恋人もできない」

(でも、マスターはなぜかいる。その上、稀代の色事師の興味も引いている)

 むずかしいゲームです。でも、彼は苦労する価値のある相手です。

 わたしは彼の頭に触れました。

「こぶになってます。ホテルに帰ったら冷やして」

 K様は、はい、と素直に答えました。


10月29日 キアラン 〔未出・マギステル〕

(可愛い子だ)

 わたしは少し浮かれ気分で、オフィスに戻ってきました。

「キアラン、王子からプレゼントがきてるぞ」

 デスクの上に美しいリボンをかけられた長い箱がありました。開けると、ダイヤで飾られた九条鞭です。カードを見てギョッとしました。

『明日は楽しみにしてる』

 予定を見て、わたしは大声をあげました。

「予定が変わってる! なぜ」

「王子だからだ」

 オプティオが言いました。

「家族員の会員より身分が上だ。パトリキの予約を優先する」

「ふざけるなよ!」

 困ったことになりました。


10月30日 キアラン 〔未出・マギステル〕

 王子と呼ばれる人物は、南アフリカを根城とする、ある世界企業の一族です。

 王子でも王族でもありませんが、経済界の雄であり、ヴィラとしてもその権勢は無視できません。
 わたしのかわいい顧客でもあります。

 ただし、相手の身分で扱いを変えるヴィラの度のすぎた身分優先は頭が痛い。

「前にも言ったはずだ。客を大事に扱わないなら、おれは辞めるぞ」

「辞めるがいいさ。控えは大勢いる」

「おれの客たちがここに残ると思うのか」

「おお、営業妨害するなら」

 待て、と仲間が止めました。

「いい考えがある」


10月31日 キアラン 〔未出・マギステル〕

 翌日、K様は時間どおりに現れました。

「やあ」

 少し頬は赤いですが、昨日よりずっと笑みがやわらかい。

「よく眠れましたか」

「興奮しちゃって眠れなかった――そういえば、あの後、偶然、バーでサー・コンラッドに会ったんだよ」

 わたしは胸のうちで舌打ちしました。こちらが仕事で身動きならないというのに、自由にやってくれます。

「誘われましたか」

「そんなんじゃないよ」

 K様は笑い、

「お礼を言って、ちょっと悩み相談みたいな話になっただけ」

「……」

 うかうかしてはいられません。


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